この街には、目に見えない不思議な吸引力があった。特別に何か思い入れがあったわけでもなければ、誰かに「ポカラはいいよ」と聞いたわけではないのに、いつ、どこでその思いが生まれたのか。いつの間にかわたしは、”この街にいかなければ” という思いの、虜になっていたのだ。
湖の周りをぐるりと囲むように、古い建物と山々がそびえるこの街は、首都カトマンドゥから、もう「これ以上跳ねてしまったら、そのままゴムボールになってしまうのではないか」と思うほどにボヨンボヨンと左右に跳ねるバスに揺られること、6時間ほどで到着した。
わたしがそっと荷物棚に乗せたペットボトルの水は、大きな石をタイヤが乗り越えた衝撃に耐えられず、前に座っていたフランス人女性の頭に思いっきり落下したし、一緒にバスに揺られていた彼とは、到着までほぼ一言も会話を交わさなかった。
それほどに、ポカラへの長距離バスは、人間にとって、とても過酷だった。
だからこそ、ゆったりと流れていく川とか、川辺に寝そべりぐっすりと夢を見ているおじいさんとか、薄っすらと見えるエベレストの影とか。「こんな楽園が待っていたなんて」と、バスをよろよろと降りた、私の目に飛び込んだ景色たちに、とてつもない感銘を受けずにはいられなかった。
愛おしいポカラでの毎日は、するりするり、手からすり抜けるように過ぎていった。特等席で夕陽をみようと、お気に入りのカフェ居座る日もあったし、一等景色がよく見える部屋で、すやすやと夢を見る日もあった。何故、あんなにこの街に恋い焦がれたのかは、最後の最後までわからなかったけれど。それでも、最後にバスに乗り込み、また首都のカトマンドゥへと向かっている途中、今度はもっと長期で来ようと決意させるだけの理由が、そこにはきちんとあった。
今でもまだ、この街をふと思い出すときがある。前のように「猛烈に恋しい」ことはなくなったけれど、それでも、ゆるやかに。まるでそれは、ずっと憧れていた人に想いが伝わり、ゆったりと、恋から愛に変わるように。心の中の引き出しに、この街のやさしさと鮮やかさが、くっきりと色濃く、今も張り付いている。
「ネパールは好きですか?」
「多分。初めてなんです」
「それは、実にいい」
ネパールへ向かう飛行機の中、お互いに片言の英語で話したあのおじさんに、「ネパールは、好きでした」と、伝えたい。彼はきっとまた「それは、実にいい」と、口の上に生やしたふさふさのヒゲを撫でながら、にっこり笑ってくれるだろう。
あの街で過ごしたたった1週間の出来事は、わたしの心の中にやさしい色の、海をつくってくれた。