まだまだ寒い日々が続いておりますが、
みなさまお元気でしょうか。
温泉道場の武藤です。
今僕は熊谷にあるおふろcafé bivouacに所属しておりまして、
気がつけば、僕は2017年元旦で温泉道場に転職して一年がたちました。
早かったー。365日ってあっという間です!!
あるサイトで調べたのですが、
僕の生まれ年の年齢の平均寿命は、80.59 歳だそうです。
(もう少し生きたいかな)
この記事を書いているのが2017年 1月17日の27歳の僕なので
僕の命が燃え尽きて、星屑になり、みんなの心に降りそそぐまであと
だそうでして・・・
なんか数字にするとあっという間に人生の最期が来そうでリアルですね。
少し話がそれましたが今回は、中途採用で温泉道場に入社した僕が
どんな仕事をし、どんな体験をしてきたかをまとめて
少し私情も入れつつ、温泉道場に入社するとこんな感じだよ!!
ということをお伝えできればと思います。
転職物語はじまりはじまり。
前職、恵比寿のデザイナー時代(ビールではなく)
前職はデザイン会社に勤めていました。(写真はデザイン会社に勤めていた時代のイカした僕。もちろん山手線ユーザーです!!)
デザイナーとしてグラフィックデザインの仕事をメインにフライヤー、広告、パンフ、web、動画などを制作してました。
入社直後は仕事がうまく回らず1週間ずーと会社に寝泊まりしていたこともありましたが、デザイナーとしての技術や精神は本当に鍛えられました。
半年くらい経ってからは有名企業のデザインなども手がけられ、日に日にデザインの腕が上達して行くことが何よりも嬉しく、やりがいを感じていました。
荒れる生活と将来への不安
ものを作ることやデザインすることは大変ですが、やはり楽しく、制作中は体がどんなに疲れていても脳みそは興奮していました。
一方で、私生活は散々なものでした。
休みの日でさえ仕事は次から次へと舞い込んできます。
当時から付き合っていた女性とデートをしていても、仕事が心配でデート途中で帰宅や出社したり・・・
つねにmacbookを持ち歩き、時間があれば即仕事という状態でした。
冠婚葬祭の日でも頭の中は納期のことで心も不安定。
一つ仕事が終わったと思ったらまた仕事と・・・。
時々「このままこの生活でやって行けるのかな」とか考えては、
帰宅中にふと涙を流したり・・・。
通勤中に反対側の電車に乗ってどこか遠くの田舎に行ちゃおうかなぁと思ったりと仕事と私生活のバランスが完全に崩れていました。
その反面仕事中は、出来ないのは自分の実力が足りないせいだ、スピードが遅いせいだ。もっとできるはずだよ!!と自分に言い聞かせながら黙々と仕事をこなしていました。
ところが2015年9月15日 深夜の会社オフィスでのことです。
一人夜中まで仕事をしていると心の中にひた隠しにしていた疑問がついに飛び出してきてしまいました。
何か大きな壁にぶつかってしまった様な気がしました。
そして僕は、自分の「将来」という大きな不安に悩まされて、このままではいけないと思い、自分がデザイナーとしてもう一つ飛び抜けて大きなものを動かせないか、私生活と仕事を両立して生きて行けないかと自分の将来を考えだしました。そして、生まれ育った埼玉でデザインで自分の可能性を試せる仕事はないかと夜な夜なネットで転職活動を始めました。
それが2015年10月、秋のことでした。
退職・・・そして温泉道場へ
夜な夜なネットで転職活動をしていたある晩、仕事百貨という転職サイトに出会いました。
掲載されている求人はどれも魅力的で、転職に纏わる様々なお仕事の記事を読んでは地方で働いている自分を妄想することが日課となりました。
そこで一本の記事と出会いました。
http://shigoto100.com/2015/10/onsendojo-2.html
記事を読み終えて僕は、これだ!!と思いました。
その後も何度も何度も記事を読み返しました。自分の前に大きな道が広がったように感じがして、興奮を覚えました。
それが僕と温泉道場の出会いでした。
まさに僕がやりたかった仕事はこれだ!!
そう確信しました。
この記事1本で僕はその晩に即退職願いを書き、温泉道場に作品と履歴書を送りました。
そして山﨑社長と後の上司である野村さんとの三度の面接を経て、温泉道場への転職が決まりました。
退職から内定まで1か月もかからなかったと思います。本当にあっという間でした。
それが、2015年の12月、冬のことでした。
〔写真提供〕日本仕事百貨より
地方に移住&転職そして地域の仕事
入社が決まった僕はせっかくなら本社のあるときがわ町へ移住してしまおうと考えました。
もともとデザインを武器に地域の役に立つ仕事がしたかったこと、里山に住みたかったこともありその地域と共に生きる心意気で移住を決意しました。
入社後すぐに、僕は自分の最もやりたかった地域の仕事を手がける事が出来ました。
僕が移住したときがわ町は、年々人口が減少していました。その現状を打開すべくときがわ町役場は温泉道場へ移住冊子の制作を依頼しました。
入社直後、昭和レトロな温泉銭湯玉川温泉で現場研修をしていた僕は、この移住冊子制作の噂を聞きつけて一人そわそわしていました。
当時冊子作りは締め切りが迫っており、ページ全体のクオリティの統一などの調整が難航し、野村さんからも制作について相談を受けていたところでした。
僕自身ここが自分の力を試す時だと感じ「全て僕がデザインしますよ。野村さん」と上司の野村さんに対してビックマウス発言をし、冊子作りのプロジェクトへ参加しました。
そして移住者の方々へのインタビュー、撮影、デザイン、町役場の方々との打ち合わせを連日行い「日々、ときがわ」という移住冊子を制作しました。制作中には「そういえば僕も移住者じゃん?」という軽い思いつきから自分の特集ページまで作り、それがまさか企画として通り・・・ついに完成しました!!
写真は完成した「日々、ときがわ」と打ち合わせ風景。畳の上で打ち合わせをする光景は、恵比寿から来た僕には衝撃的でした。
転職大成功!!人生アゲアゲと思っていたが・・・
入社して半年が経つ頃には、職場やときがわ町の生活にも慣れ、仕事も私生活も充実し出してきました。
そして僕はついに前職のデザイナー時代から僕を支えてきてくれた女性との入籍を果たし、半年間で、地方への転職、地域の仕事、大好きな自然と大切な女性との「里山暮らし」を手に入れました。都内でデザイン会社に勤めていた時では考えられないほど、毎日が充実していました。
そんなこんなで転職した僕が温泉道場への転職を決意するにあたり重要なポイントは4つありました。
・自分の能力(デザイン力)を最大限活かせること
・地域性のある仕事であること
・私生活と仕事のバランスがとれること
・自分のデザインの仕事を大きな枠で、できるようになること
温泉道場へ中途で入社した僕の最大の強みは「デザイン力」でした。
この点においては、入社時から誰にも負ける気がしませんでした。この点をさらに強化しながら、多くの会社や人々と関わりながら自分の力を試して、大きなプロジェクトを回してゆくという目標がありました。
もちろん面接時から山﨑社長の前でも偉そうにビジョンを語っていました。
しかしデザイン会社からきた僕には、ビジネスマンとして、社会人としての重大な欠点がありました。
その欠点により、僕は後に大変苦労する事になろうとは、この時は夢にも思いませんでした。
転職物語後編「苦悩の仕事編」へ続く。
1/22全世界同時公開!!