半年前に引っ越したさほど広くないバンコクの1Rで、クルクルとスクロールを流しながら、次はどこへ行こうかとチケットを探していた。
「どうやら紅茶が美味しいらしい」そのくらいの幼稚な知識しかない偶然目に止まったその国は、忘れかけていた私の旅心をくすぐる。
一年のほとんどを、旅をするように生きている。だけれどいつだって行ったことのない国を訪れる前は、心がワクワクと不安きっちり半分ずつに別れてしまって「楽しみだなあ。でも、止めてしまおうかなあ」が共存している。その葛藤は、いつも半泣きになりながら中学生の頃通っていた塾を思い出させる。
行ってしまえば楽しいことは分かっているのに。
だから次の旅は、バンコクからたったの2時間。初めての国スリランカへ行くことを決めた。
砂埃が舞うところ。
トゥクトゥクが走っているところ。すぐお茶をくれるところ。
肌が黒い人たちが、優しい笑顔で「どうしたの?」と聞いてくれるところ。
それはなんだか大好きなネパールと、怖いけれど、ついつい行きたくなってしまうインドを足して2(か、少しネパールが多めかもしれない)で割ったような雰囲気で、初めての場所なのに、懐かしさが込み上げてくる。
「きちんと肌を隠さないと。お寺には入れないよ」うっかりノースリーブでお寺に入ろうとしてしまった私を、慌てて地元の人が止めてくれる。その様子を見た周りの人たちが「せっかくだから、サリーを着たらいいさ」「大丈夫。簡単に着れるよ」と助言をしてくれた。
「ありがとう」と手を振ると「どういたしまして」とみんなが手を振る。
そんな他愛もないことで、他国をとても愛してしまえたりする。好きになるも嫌いになるも、実にシンプルでできていることを、この国は思い出させてくれる。
80円の切符を片手に列車に乗り込み、がたんごとん、と車内が右に左に揺れる度歓声があがる。沈んでいく夕焼けに顔を染める人たちと目があい笑い合いながら、一体私はいつまでこんな風に旅ができるのだろうとふと思った。それはもちろん仕事の事もあるだろうし、体力や、歳の事だってあるかもしれない。
だけれど、そんなものよりもっともっと。例えば「旅」という事自体が、できなくなってしまった時代がきたときに。例えば何かを天秤にかけて、旅が空高く掲げられてしまったときに。私は今日の日を、このスリランカを思い出すのだろうか。
そんな事を思いながら、私の体はゆっくりと、旅の終わりへと運ばれていく。
外はすっかり、紫と青色を纏った、夜のヴェールに包まれていた。