この町の色や人や匂いに、恋をしてしまったのはいつの頃だっただろうか。
「ああチェンマイにいきたい」と友人との会話やSNSでいつもボヤくようになっていたし「でもね、チェンマイはね」と、何かと引き合いに引っ張りだすようになっていた。シンプルなファッションが好きだったはずなのに、チェンマイ特有の柄や色の小物をシャラシャラと身に着けるようになったのも、何だか無意識にそうなってしまったような気がしている。気づけば、タイ・チェンマイは私の心の特別ご招待席に鎮座して、ぴくりとも動こうとしなくなっていた。
タイ・バンコクから列車や飛行機で数時間のアクセスでいくことができるこの町は、ディズニー作品「ラプンツェル」に登場する華やかな祭り、コムローイ祭(一斉に夜空にランタンが上がるお祭り。それはそれは、夢のような光景が広がる)の存在で一躍有名になった。その時期は外からたくさんの人が押し寄せるのだけれど、普段の町はとてものんびりしている。田舎すぎず、都会すぎもしない。そのちょうど良い真ん中を保っているような場所だ。
無造作に伸びた花や草の間から顔を出す猫はごろりとお腹を見せ道に寝ているし、屋台のおばちゃんは「おまけよ」と言って山盛りの唐揚げをよこし、角を曲がれば「乗っていく?」と、ローカルの乗り物、真っ赤に塗られたソンテウの運転手が、気だるそうに手招きをする。
私のように住居を持たず世界中で仕事をする人間(世間ではノマドワーカーと呼ばれる)の聖地としても近年話題で、PCを小脇に抱えたヨーロピアン達がタイミルクティをすすりながら、度々私を抜き去っていく。またその様子を見送るわたしも、同じようなポーズでお気に入りのカフェを目指す。
チェンマイはコンパクトシティだ。「欲しい」がぎゅっと一箇所に凝縮されている。スーパーも銀行も、行きつけのカフェも。少し歩けばたどり着ける。だからなのか、段々自分の体に生活のリズムが染み付いてきて、3、4日も滞在しているとなんだかここは昔から住んでいたような、そんな気持ちになってくるのだ。
小道をするり曲がると、雑貨屋やカフェ、布屋がぎっしりとひしめいている。このまま歩いていったら、魔法の杖を売るお店だとか、フクロウを売ってくれるお店だとか。そんな、不思議な場所にたどり着けてしまうのではないか。ワクワクとドキドキと期待をこめて、わざと地図をポケットにしまうのが、チェンマイを散歩するときのマイルール。
ただただ、風の向くまま、気の向くままに、思いを泳がせる。
「懐かしい感じがする」と、チェンマイに引っ越してきたり、ふらり旅をしたみんなが口を揃えて言う。「なんだか、初めてきた気がしない。すっと暖かい気持ちになる」と。
私も初めてこの土地を踏んだ2年前、身体中に安心感が走ったことを覚えている。いつも海外へいくと、やはり背筋が伸びて「よしっ」と少なからずの気合いが入るのに、この町はなんだかそういうものを「まあまあ、肩の力抜きなって」とふにゃっと捻じ曲げて、ゴミ箱に捨ててしまう。
たくさんの国をのぞいてきたけれど、今でもわたしは「今どこに住みたい?」と聞かれたら「チェンマイ」と即答する。
それほどに、この国から漂う暖かい空気は、他の場所とは全く質が違う。
「次にどこへ行こうかな?」と首を捻らせている人がもし、いるのなら。
ぜひ、足を運んでみてほしい。きっと心の中のこりかかった部分を、そっと溶かしてくれる。