「今まで旅をしてきて、忘れられない場所は何処?」と聞かれると、実はこの場所の名前はすっとは出てこない。「もう一度行きたい場所は何処?」と聞かれても、頭に浮かぶのはいつもアイスランドとか、チェコだとか。なんだか華やかな思い出があった場所ばかりで、ここではなかった。
それでも、ふとした瞬間、例えば病院の待合室とか電車に揺られながら本を開く時とか、夢に落ちてゆく、あの現実と夢のちょうど真ん中にいる時だとか。そんな自分が無防備に、文字通り「空っぽ」になると、心に思い出の破片たちが遠慮がちに少しずつ、降り注いでくる。
もしかしたら、本当に忘れられなかったり、もう一度行きたいと思う場所は、誰かに聞かれた時の模範解答のようにスラスラと出てくるようなものではなくて。咄嗟に思い浮かばないくらい、当たり前のように心に棲み付いてしまった、そんな場所なのではないか。それでいう私の「忘れられない場所」がタイのプーケットから船でさらに2時間。かつて秘密の楽園と呼ばれた島、ピピ島なのだった。
この島で格別良いことばかりがあった訳ではない。人生初めて泊まったドミトリーはまるで出会い宿のようになっていて、女性のベッドに男性が潜り込んで何やら夜な夜な笑い声が聞こえてきたし「あなたも飲む?」とべろべろに酔っ払った女性に、バケツごとビールを突き出され、無理やり飲まされたりもした。
あまりの無法地帯っぷりに私の頭はひたすらにクラクラしてしまって、「なんてところに来てしまったんだ…」と絶望もした。だけれど多分、試練のようなゲストハウス生活も、本当に宝が埋まっているのでは…と思いたくなる鬱蒼としたジャングルにも(と当時わたしには見えていた)、見たこともない鳥達の声が告げる柔らかい朝にも、その全ての出来事が、これまで経験もしたことのないような冒険に連れ出してくれるのではないか、と私の胸を高鳴らせた。
1日、1日と時を重ねるに連れて、小さいが故に、何度も何度も同じ道を通らなければいけないこの島には、ポツリポツリと顔見知りが出来始める。「今日も君は泳がないの?」と、綺麗なビーチを目の前にしても一向に泳ごうとしないわたしにいつも不思議そうに問いかける男性・ココに「海は見るのが好きなの」とおきまりの返事を投げる。するといつもは微笑んで手を振るだけなのに「明日は僕の船に乗せてあげるから」と変化球を投げ返してきた。なんとなく、ただの“よそ者“だったわたしが”受け入れてもらえた“ような気になって、心が1cmばかり浮遊する。そんなちいさな幸せが、この島にはたくさん眠っているのだ。
何かを投げ出して、この島にとどまるような勇気はなかった。それでも、離れるときにぐっと涙を堪える必要はあった。「また来るから」と、次の予定もないくせに無責任な約束をしてしまったのはきっとそのせいで、罰の悪い顔をしている私ににっこり笑って「きっとだよ」と、自分の大事にしていた指輪を預けてくれたエイムの目に、わたしはどう写っていたのだろう。今でもピピ島を思い出すときは、必ず彼とセットだ。
何色あるのかも数えきれないほどに重なった青の層と、ぱっと目の前を鮮やかに彩る花々。誰も傷つけるものはないと、安心しきって擦り寄る猫たちと、グネグネと、下手したら迷子になってしまいそうなどこまでも続く道を、わたしは今でも目をつぶれば、昨日のことのように思い出す。
これからも「今まで旅をしてきて…」の質問をされれば、私は別の場所をするすると答えてしまうのだろう。
きっとこの場所は、心の中にそっとしまって、必要な時にこっそり覗き見るような、そんな、宝物のようなもので。
次にあの場所に降り立つ時は、この指輪をエイムに渡し「ただいま」と微笑まなければ。「遅くなってごめんね」と付け加えて。